文献によりますと、今から158年前の江戸時代末期、1862年(文久二年)長崎に入港した異国船から上陸した船員が、デンマークあたりから持ち込んだハシカのウイルスが蔓延し、今の西日本一帯に広がった記録があります。
更にその時期、江戸小石川の伝通院と言うお寺の僧が、京・大阪に旅行して帰り、発病しまたたく間に江戸中に蔓延し、この年の夏 日本橋の上を通る棺桶は一日200個以上にも達したと言われております。
その年は、江戸中の夜店も立たず、花柳街も吉原も店を閉め、風呂屋も髪結床もすっかり人が寄り付かず、寺社の祭りも野良犬ばかりがうろついていたそうです。
この小石川には、その後新選組の局長として名をはせる近藤勇の道場「試衛館」と言う天然理心流の剣術道場があり、不思議とその道場からは発症者が出なかったようである。
ちなみに、土方歳三も沖田総司も既に道場の門人でした。
当時、江戸には剣術の様々な流派の町道場が相当数(100以上)あり、江戸一番と言われた大道場は門弟3000と言われた北辰一刀流の神田お玉が池の千葉道場でした。
坂本龍馬もそこの門弟でした。
いづれにしても、その流行病「ハシカ」は1年以上も続いたようであります。
歴史は繰り返されるんですね・・・兎に角この「コロナ」何とか早く終息に向かって欲しいものです。
更にその時期、江戸小石川の伝通院と言うお寺の僧が、京・大阪に旅行して帰り、発病しまたたく間に江戸中に蔓延し、この年の夏 日本橋の上を通る棺桶は一日200個以上にも達したと言われております。
その年は、江戸中の夜店も立たず、花柳街も吉原も店を閉め、風呂屋も髪結床もすっかり人が寄り付かず、寺社の祭りも野良犬ばかりがうろついていたそうです。
この小石川には、その後新選組の局長として名をはせる近藤勇の道場「試衛館」と言う天然理心流の剣術道場があり、不思議とその道場からは発症者が出なかったようである。
ちなみに、土方歳三も沖田総司も既に道場の門人でした。
当時、江戸には剣術の様々な流派の町道場が相当数(100以上)あり、江戸一番と言われた大道場は門弟3000と言われた北辰一刀流の神田お玉が池の千葉道場でした。
坂本龍馬もそこの門弟でした。
いづれにしても、その流行病「ハシカ」は1年以上も続いたようであります。
歴史は繰り返されるんですね・・・兎に角この「コロナ」何とか早く終息に向かって欲しいものです。